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東京地方裁判所 平成4年(ワ)13072号 判決

原告

三浦和義

被告

株式会社日刊スポーツ新聞社

右代表者代表取締役

林秀

右訴訟代理人弁護士

竹川哲雄

被告補助参加人

社団法人共同通信社

右代表者理事

犬養康彦

右訴訟代理人弁護士

淵邊善彦

新川麻

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一原告の請求

被告は原告に対し、金三〇〇万円及びこれに対する昭和五九年五月三一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一判断の基礎となる事実

1  被告は、被告の発行する「日刊スポーツ」紙の昭和五九年五月三一日付け紙面に「三浦氏が口封じ 実家に謎の電話?!」「脅されてた夏樹麗子」との見出しを付した、大要次のとおりの記事を掲載した。

一美さん殴打事件を突破口にロス疑惑解明を急ぐ警視庁捜査一課は、昭和五九年五月三〇日までに、「三浦さんに頼まれて私が一美さんを襲った」と告白した女優夏樹麗子さん(本名・矢沢美智子)の実家に、同年四月上旬ないし中旬、「美智子さんのきょうだいは何人か」など夏樹さんの肉親の人数を確認するような不審な電話がかかってきたとの情報を得た。夏樹さんは昭和五七年、一美さんが東海大学付属病院に入院中に三浦氏から「オレを裏切れば親きょうだいをぶっ殺してやる」と脅迫されており、捜査一課ではこの不審な電話が事実であるとすれば、三浦氏が夏樹さんに口封じのダメを押した可能性が高いとみて、情報確認を急いでいる。夏樹さんの父親は本紙の問いに「そんな電話はなかった。三浦さんという名前も今回の騒ぎまで聞いたことがなかった」と迷惑そうに電話を切ったが、この情報は、夏樹さんの肉親と親しく、夏樹さん自身から一美さん襲撃の全容を告白された青年実業家A氏からの事情聴取などの結果、得られたものであるだけに、確度はかなり高いといえる。

(以上の事実は当事者間に争いがない。)

2  原告は、この記事が虚偽であり、原告の名誉を毀損したとして、これによる精神的苦痛に対する損害賠償を求めて本訴を提起した。

被告は、補助参加人である社団法人共同通信社からの配信記事に基づいて本件記事を作成したものであり、この配信記事は真実であるが、仮に真実でないとしても、共同通信社から有償で配信記事の提供を受けている被告を含めたすべての新聞社には、それが真実であるとの信頼の原則があるので、真実と信じたことには相当性があると主張し、また、そもそも本件記事の記載内容からみて、それが原告の名誉を毀損する性質のものではないと主張し、さらに、原告は遅くとも平成元年三月二二日までには、本件記事の存在及び内容を知っていたものと推認できるとして、損害賠償請求権の消滅時効を援用している。

二争点

1  消滅時効の成否

2  本件記事の真実性

3  本件記事が真実でないとした場合、被告が真実と信じたことに相当な理由があるかどうか、また、そもそも本件記事は原告の名誉を毀損するものではないといえるものかどうか。

第三争点に対する判断

一消滅時効の成否について

1  本件記事は昭和五九年五月三一日の日刊新聞紙に掲載されたものであり、本件訴訟は平成四年七月二九日に提起されたものであって、その間に八年余の期間が経過している。本件訴訟の主要な争点は、本件記事の記載内容が真実であるかどうかであるが、共同通信社の記者として本件記事の基礎となった共同通信社の配信記事に係る取材にあたった証人矢澤義夫の証言の内容からみて、本件においては、記事の基礎となった取材資料の散逸、年月の経過による記憶の薄れなどが右争点に関する真実の解明に少なからず影響を与えていることが認められる。

不法行為に基づく損害賠償請求について、民法七二四条前段が三年という短期の消滅時効を定めた主たる理由は、三年の経過によって証拠の収集・保全が困難になることにあることを考えると、右の事情のある本件訴訟においては、消滅時効の成否について、慎重な判断を要するところである。

2 本件記事が掲載された「日刊スポーツ」紙は、全国的規模で発売され、宅配、都市部の駅の売店等で国民が容易に入手しうるものである(弁論の全趣旨)。先に要約したような具体的かつ詳細な内容の人の名誉に関する記事が、全国的規模で発売される日刊紙に掲載された場合には、仮に本人がその記事を読んでいないとしても、親族、友人、知人等がその記事を読むなどして、記事掲載後遅くない時期に、本人にその情報を伝達することが少なくないことは、当裁判所に顕著である。そのような情報伝達力を有するからこそ、その記事の掲載に当たっては、人の名誉に関する慎重な配慮が要請されているのである。

このような情報伝達力の強さからみて、その記事を了知しえない客観的状況があったなどの特別の事情のない限り、その詳細は別にして、先に要約したような趣旨の本件記事が存在することは、新聞紙の発行後数日内(数日内に了知しえない特別な事情がある事案においては相当日数内)に、記事の対象となった原告に伝達されているものと推認するのが相当である。

3  そこで、右特別の事情の存否についてみるのに、原告本人尋問の結果によれば、原告は、本件記事の掲載された昭和五九年五月三一日を含め、昭和五九年四月下旬から昭和六〇年一月下旬までの間、欧州に滞在しており、日本にはいなかったことが認められる。このような事情がある場合には、新聞紙発行後数日内に本件記事の趣旨が本人に伝達されたとする前記の推認は、直ちには及ぼしえないものというべきである。

もっとも、原告に関しては、昭和五九年一月から株式会社文芸春秋が「週刊文春」に原告の妻である亡一美の死亡について、「疑惑の銃弾」と題する記事を掲載して以来、いわゆるロス疑惑として週刊誌、新聞等に取り上げられ(弁論の全趣旨)、原告も新聞報道等に関し、強い関心を持っていたことが推認されるので、欧州に滞在していたことのみから、原告がその当時のわが国の新聞報道について情報を得ていなかったと断定することも難しいが、この点は暫く措く。

そこで、次に、新聞紙発行後相当期間内に本件記事の趣旨が原告に伝達されたものと推認する事情があるかどうかについて検討するのに、原告本人尋問の結果によれば、原告は、昭和六〇年一月下旬に帰国してから同年九月に殺人未遂容疑で逮捕されるまでの間、主として千葉市内に居住し、情報の収集に格別の制限を受けることのない状況にあったものと認められるところ、原告の置かれた特殊な立場、すなわち、犯罪行為に関与した可能性があることが週刊誌、新聞等の記事として取り上げられ、警察による捜査も開始されるという事情(弁論の全趣旨)からみて、原告には、少なくともその間に、本件記事を含めた自己に関する各種の新聞報道等に関する情報に接する機会があったものと推認するのが相当である。

4  原告は、陳述書(〈書証番号略〉)及び原告本人尋問において、その当時、当初目につくものは目を通していたこともあったが、その内容があまりにもでたらめな記事が多く、読めば不快になるばかりだったので、それからはほとんど見ないようにしていた旨述べている。しかし、原告は、昭和五九年一月二一日に株式会社文芸春秋を被告として名誉毀損を理由とする損害賠償等請求訴訟を提起して以来、本件口頭弁論終結の日である平成五年一一月九日までの間に、自己の名誉を毀損した記事等を掲載したとして、報道機関等を相手として合計二〇〇件を上回る民事訴訟を当庁に提起しており、本件訴訟提起の三年前である平成元年七月二八日までの間のみをとっても、当庁への右のような民事訴訟の提起件数は一三件に上っている(この事実は当裁判所に顕著である。)。このように新聞報道等に強い関心を持ち、拘置所内においてすら強力な情報収集能力を発揮するだけの知識・技能を有する原告において、本件記事については何の情報も得ていなかったとする前記原告本人の陳述を、そのまま信用することはできない。

また、新聞記事の記載が名誉を毀損したと主張して、不法行為に基づく損害賠償を請求する民事訴訟において、その請求権が消滅時効にかかっているかどうかを判断するのに、原告本人がその記事の存在を了知しうる客観的状況にあるにもかかわらず、その記事を現実に見ていないと述べたことを理由に消滅時効の進行を認めないとすれば、原告が不法行為の存在を知ったことを被告において立証することはほとんど不可能に近いことになり、当事者間の公平を害する。当裁判所はこのような見解を採らない。

5  以上のとおりであるから、原告は、遅くとも殺人未遂容疑で逮捕された昭和六〇年九月までには、概略本件記事の内容のような新聞報道がされていたことを知っていたものと推認するのが相当である。したがって、本訴提起の時点では、原告主張の損害賠償請求権は、時効により消滅していたものと認められる。

二本件記事の真実性について

1  右にみたとおり、原告の本訴請求権は時効により消滅したものと認められるが、本件訴訟の中心的争点は本件記事の記載が真実かどうかであることにかんがみ、年月の経過により、事実を解明しにくい部分もあるが、証拠に表れた範囲でこの点に関する判断をすることとする。

2  本件記事の基礎となったのは、共同通信社の配信記事であり、その内容は、本件記事が右配信記事では「一美さん殺しの依頼人」及び「Aさん」と匿名とされている原告及び夏樹麗子の実名を明らかにした点を除き、前記のとおり要約した本件記事の内容と同趣旨である。

右配信記事の中心的部分は、警視庁捜査一課の捜査員が不審な電話に関する情報を得たとする点であるが、証人矢澤義夫の証言によれば、この部分は真実であることが認められる。同証人は、ニュースソース秘匿の関係上、捜査当局が事情聴取をし、共同通信社の記者である同証人も度々接触して取材をしたとする青年実業家の氏名を明かしていないが、同証人の供述態度及び供述の内容からみて、氏名を明らかにしなくとも、同証人の証言は信用することができる。なお、記事中警視庁捜査一課とあるのは、捜査一課の捜査員のことを略記したものと認められる。

この配信記事の中には、「A子さんは一美さんが神奈川県伊勢原市の東海大付属病院に入院中(五十七年一―十一月)のころ、一美さん殺しの依頼人から『オレを裏切れば親きょうだいを殺してやる』と脅されたことが既に分かっているが」との記述があるが、前後の文脈に照らせば、この記事において主として伝達したい内容は、警視庁捜査一課の捜査員の捜査途上の情報であり、右記述部分についても、趣旨とするところは、同課の捜査員の把握している事実を客観的に記述したものと認められるところ、証人矢澤義夫の証言によれば、同人は前記青年実業家からそのような脅迫行為があったとの情報を得ており、また、その青年実業家から警視庁の事情聴取を受けたことを聞いており、このことに共同通信社の警視庁担当記者の取材結果も総合して、警視庁捜査一課の捜査員が当該脅迫行為に関する情報を得ていることを把握したことが認められるから、その記載の脅迫行為があったかどうかは別にして、少なくとも警視庁捜査一課の捜査員が当該脅迫に係る事実を把握していたことの証明はあったものというべきである。したがって、この記述部分についても、事実の証明があったものと認めることができる。

なお、右脅迫行為があったこと自体の真偽については、これに関するその後の捜査の進展のない現状においては、証拠上不明であるといわざるをえないが、右に認定した警視庁捜査一課の捜査員の捜査上の情報及び共同通信社の独自取材による裏付けの状況に照らせば、仮に脅迫行為の存在に関する事実の証明がないとしても、共同通信社がこれを事実であると考えて本件記事の基礎となった記事を配信したことについては、相当の理由があったものということができる。

3  本件記事は、共同通信社が原告及び夏樹麗子について匿名で記事を配信したものを、被告独自の判断で実名を上げて報道している。しかし、証人矢澤義夫の証言によれば、明らかにされた氏名が事実に反するものではないことが認められる。

本件記事が掲載された当時、原告に対する強制捜査は開始されていなかったのであり、一般に、強制捜査も開始されていない犯罪事実に関し実名で報道することは、誤った報道がされた場合の名誉の回復が極めて困難であることから、厳に慎重な配慮をすべきものであるが、右2に認定した事実の裏付取材の状況、本件記事に係る事件はいわゆるロス疑惑として知られる重大な犯罪の有無が問題となる事件に関連する事件に関するものとして捜査機関の情報収集の対象となっていたこと、本件記事は捜査機関の捜査の状況を報ずることを主眼としたものであること、本件記事には脅迫電話の存在を否定する夏樹麗子の父親のことばも紹介していること等からして、右のように実名を上げたことのみから、直ちに本件記事が違法であるということはできない。

4 本件記事は、そのほか、第二の一の1記載のような見出しを付している。

この見出しによれば、夏樹麗子の実家に脅迫電話があり、原告が脅迫電話の行為者の疑いが強いとの印象を受ける。この記事が掲載された当時、原告に対する強制捜査は開始されていなかったことを考えると、このように見出しにまで実名を出して犯罪事実を報道することには、特に慎重な配慮が要求されるところであるが、一方、この見出しの末尾には疑問符が付され、断定を避けていること、本文中では、この報道が警視庁捜査一課の捜査員においてその当時把握していた情報について述べたものであり、同課もなお情報を確認中であるとの説明がされていること、そのような脅迫電話の存在を否定する夏樹麗子の父親のことばも紹介していること等の配慮がされている。

新聞の見出しは、趣旨を短い語句に短縮して読者の目に訴えるものであるため、その性質上右のような各種の情報を盛り込むことができず、本文の説明をやや不正確に要約することがあるが、その場合にも、通常人からみて明らかに相当性の限度を越えたものと認められる場合を除き、本文の内容に違法性がない限り、見出しの正確性に関しては、原則として当該報道機関内の向上の努力に委ねるべきものであり、司法機関が損害賠償を命ずることによりその当否の判断に介入することは、できる限り避けるべきである。

このような観点からみて、本件記事の見出しも、不法行為を構成するようなものとまではいえない。

5  以上のとおり、本件記事は、その見出しも含めて、不法行為を構成するものとはいえないものである。

三以上のとおりであるから、原告の本訴請求は理由がない。

(裁判長裁判官園尾隆司 裁判官森髙重久 裁判官伊勢素子)

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